中村悟郎講演会
2018-07-02


講演会の名称は,「中村悟郎講演会・写真展 化学兵器としてのダイオキシン、その人体被害」です.


2018年6月30日(土),午後2時から4時まで西本願寺札幌別院ホールで,前記講演会が開かれました.参加者は166人でした.椅子席は一杯になり,私は座敷に座って聞きました.『ベトナム「オレンジ村」建設を支援する北海道の会』に北海道宗教者平和協議会が入っていて,講演会の開催に協力したため,この場所での開催になったようです.会場の周りには中村氏の写真が並べられていました.


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講演する中村悟郎氏


枯葉剤を含む化学兵器は,第二次世界大戦中に日本でもアメリカでも研究が行われていました.アメリカは第二次世界大戦が終わった後,731部隊(関東軍防疫給水本部)のメンバーを裁判にかけず,ワシントン D.C.の東にあるメリーランド州のアメリカ陸軍キャンプ,フォート・デトリックでアメリカでの生物兵器研究に従事させました.第二次世界大戦で,アメリカは日本の太平洋岸に枯葉剤をまく予定でしたが,原爆投下が優先されたため実施されませんでした.


アメリカは,ベトナム戦争では敵が潜んでいるジャングルを裸にし,食料生産を低下させるために枯葉剤を撒きました.1961年11月にベトナムでの枯葉剤散布を承認したのはジョン・F・ケネディ大統領です.

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上の写真はベトナム南端のマカウ岬のマングローブ林の状況です(「中村悟郎講演会・写真展」チラシより).この写真に写っている少年が成長してからの姿も,中村氏は写真に撮っています.枯葉剤に含まれているダイオキシンは,分解しないで土壌に長く残ります.現在,この場所ではエビの養殖が行われています.


中村氏は,二重体で生まれたベトさんとドクさんとも親しく付き合って写真を撮っています.ベトさんとドクさんの分離手術はベトナム人のみの執刀で行われました.アメリカの最新医学知識を持った南ベトナム・サイゴン軍の軍医が執刀しました.


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[地質技術者のつぶやき]

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